鵜匠の暮らし
1年を通して鵜と暮らし信頼関係を築く

餌飼(昭和30年代)

鵜飼の期間は、毎年5月11日から10月15日までと決められています。その間は朝早くから夜中まで大変忙しい日々を送っています。決められた休日は中秋の名月の1日。それ以外は、増水によって鵜飼ができない日が休みになるだけという厳しいものだからです。この5ヵ月というのは、連日、鵜飼に明け暮れているといっても過言ではありません。では、鵜飼がない時期、鵜匠はどのように暮らしているのでしょうか。鵜飼がないからといって、ずっと休みが続くというわけではないのです。昭和30年代の頃までは、長い休漁期の間、鵜に餌を与えるための餌飼(えがい)を行っていました。これは、鵜匠が鵜とともに長良川や揖斐川流域の地域におもむき、川や沼に鵜を放ち自由に魚を獲らせるというものです。餌飼には、陸路を行く陸餌飼(おかえがい)、鵜舟でいく川餌飼があり、ときには泊まりがけで出かける泊まり餌飼もあったといいます。こうした慣習も、川魚の減少や河川の汚染などもあり、行われなくなりました。

現在では、鵜飼が終了するとまず鵜の健康診断を行い、鵜の健康状態をしっかり把握します。健康診断は1月頃にも行われます。毎日の鵜の食事(今では冷凍のホッケが主流のようです)、運動、篝火(かがりび)用の松割り木の準備と、さまざまな雑事が待っています。また、年末の頃ともなると新しい鵜がやっています。野性の海鵜を調教るのも重要な仕事のひとつです。  鵜とともに暮らし、鵜とのコミュニケーションをいつも図っている鵜匠…。なんといっても鵜との信頼関係が築くことが何より大切なのですから。

鵜匠 足立陽一郎親子

そして一番大切な事が、親から子へ鵜匠の技を伝え残してゆく事です。代々受け継がれてゆくのは、鵜飼の技術はもちろん、川と共に暮らし自然の中で育まれてきた感性、日本人の心。千年以上の歴史を持つ文化を未来へ繋げてゆく。それもまた、鵜匠の大切な仕事です